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八幡神社 御由緒 御縁起 鴻巣市鎌塚四二八
当社の創建の年代は不明であるが、口伝によれば、鎌塚地内の石川家の先祖の出身地である大阪府羽曳野市の誉田八幡宮を当地の宝積院境内に、地域の氏神として勧請し祀ったことに始まるという。
石川家は、江戸期に名主を務めており、宝積院の維持にも深く関与していた。
旧社殿の棟札には、元禄一〇年との記載のあることから、今から三百年以上前に旧社殿は建築されたことになる。
文政十一年(一八二八)の古文書には、「八幡社 村の鎮守なり 宝積院持」との記述がある。
明治初年、当社が宝積院の境内地にあったことから、神仏分離政策の下、当社の御神体は移転を余儀なくされ、一旦、本倉稲荷神社へ遷座され、それまで鎌塚にあった他の四社とともに五社合殿して祀られていた。しかし、その後、時の総代石川茂十郎ら鎌塚村の人々の尽力により、国に上地されていた旧地の払い下げを受け、明治七年再び元の地に戻されて祀られることとなった。
旧社殿は昭和四十一年の台風により倒壊したが、鎌塚地区内外の氏子の協力によって社殿および集会所が昭和四十六年に完成し、遷宮式を盛大に挙行した。
「巫女の舞」は、その社殿再建を記念して、時の町内会長、婦人部有志により、浦安の舞の指導者を招いて、舞いを奉納したのが始まりである。毎年、九月十四日の例大祭において、鎌塚在住の小学四年生の女子児童により、舞が奉納されている。
今日まで、鎌塚地区の住民は、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・無病息災・生涯の幸せを祈願し、祭礼等には、多くの人の輪を広げ、親睦を深めてきた。